はす向かいにて

柴沼千晴/日記や文章

日記本『親密圏のまばたき』について

このタイトルが最初に思い浮かんだときのことを、もうはっきりとは思い出せないけれど、いつもタイトルを決めるときにはこれ以外考えられない、という気持ちになる。決意というより諦念のような、もうその視線から逃れられない、運命のような。


2023年12月10日に下北沢BONUS TRACKで開催される「第4回 日記祭」に、『親密圏のまばたき』という新刊の委託販売で参加します。これはわたしにとって3冊目となる日記本で、既刊『犬まみれは春の季語』『頬は無花果、たましいは桃』の(間は空いていますが)つづきの日々、2023年6月1日〜11月19日をまとめたものです。でもわたしの中では、既刊とは少し違う心持ちでつくったものでもあり、いま考えていることをちゃんと言葉にしておきたいな、と思い、この文章を書いています。

 

f:id:chiharushiba08:20231209160724j:image

 

時は戻って今年の2月、パフォーミングアーツの祭典『シアターコモンズ ’23』のプログラムのひとつとして開催された中村佑子さんのワークショップ「まなざしはまなざされない」に参加しました。これはシネエッセイ=映像のエッセイの作品をつくる、という内容で、そもそも映像を撮った経験もないわたしでしたが、たぶんそのお知らせを見たときの気まぐれで、でもどこか運命みたいにも感じて、何かを願うような気持ちで応募していたのでした。ワークショップは全3回で、そのうち1回、中村さんに制作や思索の途中経過を相談し、その様子を他の受講者も聞いている、ワークインプログレスの時間があったのですが、そのとき、初対面の(もしくは何も知らない)人の切実さを教えてもらう、というはじめての経験をすることになります。ワークショップの最終日、わたしはそんなつもりはなかったのに泣いてしまって、それは自分の作品について講評を受けたときではなく、他の受講者の発表を聞いているときでした。皆さんそれぞれ、さまざまなテーマで作品をつくられていたのですが、その中には、そんなにも大きな、あなたの人生そのものみたいな思索を、何も知らないわたしなんかが教えてもらってしまっていいのでしょうか、と思うようなものもあり、その切実さに、何と言えばいいかわからないけれど強くこころを動かされてしまったのでした。問いを立てる、その問いが自分の人生を揺るがす、作品として昇華させる。自分の人生や日々において無視できないことを作品にするという、他の誰でもない自分として生きていくことそのものを体現した営みの切実さを、これでもかと間近に感じる体験。そして中村さんはそのことを「節目ごとにこういったものをつくると、また思い悩んだときに〈あのとき一度終わらせたから大丈夫〉と思える」というようなことを(たぶん)話されていました。アートやクリエイティブなものに親しんでいる方であれば、こういうできごとは当たり前にあることなのかもしれないのですが、わたしにとってはその体感やてざわりが、これから眺めわたす世界を揺るがすようなものだったのです。

 


ではわたしは、というと、ここ数年、親密さということについてずっと考えていました。血縁や婚姻、恋愛、性愛などの関係性やそれに近いものをあらわす言葉があり、その上に、当然いくつもの固有の関係性がある。でも、わたしにとってもっとも大切にしたい生活というものは、名前のついた関係性の、ふたり組のそれがもっとも良いとされることをどう捉えればよいかわからない、そんなふつふつとした気持ちを抱えていました。でもあの2月に起きたできごとがわたしのからだに流れて、この気持ちを抱いたまま過ごす日々の日記をまとめたら、何かを言うための題材としてではなく、そこにただ〈ある〉ものとして言葉にできるのではないか、と考えました。そうしてはじめて自分の切実さをかたちにしようと試みたのが、『親密圏のまばたき』です。

 

とは言え、これがわたしの切実さなんだ、ということを本の中に明記しているわけではないですし、この文章を読んだ人に日記本を買ってほしいわけでも、日記本を手に取ってくださる人全員にこの文章を読んでほしいわけでもありません。ただこういうことを思ってつくった、ということを、どうか残しておきたかった。こんなことを書いておきながら、知らない誰かの日記のひとつとして読んでほしいとも強く思っています。


この切実さが一生つづくのかわかりません。忘れてしまうようなことがあるでしょうし、誰かの切実さを置いて、自分だけが幸せそうな顔をしてしまわないか、誰かを傷つけるんじゃないか、そもそもわたしのこの切実さはとても些末なものなのではないか、そんな不安がとても大きいです。それでもきっと、わたしは今回、この本をつくることができてよかったと思っています。どうか思いたい。

 

こんなことをインターネットに書いてしまってほんとうにこわい! 自分のほんとうのことを書いたり表現したりするのは気が遠くなるほどこわくて、どうか一生つづけていきたいけれど、毎回こんなにこわくて難しくて、こわがりのわたしはどこまでその自分と向き合うことができるのだろう、と考えています。きっと晴れるようですね、12月10日は下北沢にいます。

 

日記祭の詳細:第4回「日記祭」を開催します | 日記屋 月日