はす向かいにて

柴沼千晴/日記や文章

2022/9/25

この日の日記は、me and you little magazine & club「同じ日の日記」に掲載されています。こわいもの/柴沼千晴 | me and you little magazine & club

天気が良すぎてこわい、ということを、自分で思ったのか誰かが言っていたのか忘れてしまった。月に何度かある、日曜日だけれど早く起きる日。地域猫のうに( わたしが勝手に名づけているだけで、 たぶんいろいろな名前で呼ばれている)はいつもの場所にいて、 おでこを撫でさせてもらう。いくら触ってもいやそうにしないこの温度に安心する、シースルーの長袖がちょうどいい朝。

f:id:chiharushiba08:20221015234301j:image

9月から、日記のワークショップというものに参加している。下北沢にある日記屋さん、日記屋月日が主催しているもので、お互いの日記を読み合い、 考えたことや感じたことを共有する。わたしは今年の1月1日から日記をつけはじめ、春にそれを本にまとめてから、日記のすばらしさとそれに対する依存のような気持ちを同居させて、いまも毎日書き続けている。今日はそのワークショップの第2回だった。

日記を数週間読み合っているけれど、 会ったことは一度しかない人たちと、 たまの日曜に同じ場所に集う。 もちろんまだあまり親しくない人たちの前で話をしたり、 自分が考えているさまざまなことを話し出すのにはそれなりに勇気がいるのだけれど、日記を読み合っている=お互いの日々を( 表面的にかもしれないけれど)知っている、という出会い方の良さは、この世のすべての人に伝えたい。それに、人が考えていることを聞く時間は楽しい。それぞれが日記をつけること、日記を読むことに対してさまざまな思いを巡らせていて、そうだよね、と思ったり、そうなのか、と思ったりする。わたしはと言えば、感じた気持ちやできごとをうまく書けないとき、それがこの日として残されてしまうことへのこわさの話をした。結論が出る話はひとつもない、それでも、そうだよね、と、そうなのか、を繰り返し、それぞれの思いでまた日々に帰っていく空間の面白さ。 特に印象に残ったのは、「引き出しの取っ手をつくるようにメモをとる」という話、思い出すこと、書くこと、 書かないことがある日記ではもちろんだけれど、取っ手をつくる、というのは、人との対話においても同じでありたいと思った。朝よりも強い陽射しが大きな窓に反射するたびに、頬がじゅわっとする。

終了後、日記を介して出会った友人にランチに誘ってもらい、駅の方面に歩き出す。「どこ行きましょうか」「うーん、 どこか知っているお店ありますか?」「ひとつあるんですが」「 そこでお願いします」「ゆっくりできるお店で、かかっている音楽もすごくいいんですが、音が大きいんですよね」「聴いてほしいのかもしれませんね」、 連れていってもらったのはアジア料理のカフェだった。ソファの席に座ったら、彼はセルフサービスのお冷を汲んできてくれて、青色と琥珀色のグラスのどちらがいいですかと聞いてくれた。 最近考えていることをお互いに話す。

彼は最近あった魅力的な会話をする人について話してくれた。 わたしは、誰にも言ったことのない、言おうとすら思っていなかったことをするすると話していた。重なる言葉と空気(と音楽)、人の言葉を引き出すこと、「ここでしか生まれない会話ですね」と話す。わたしのよくわからないエピソードを最後まで黙って聞いてくれた彼は「人のこういう話ばかりを聞いて暮らしていきたい」というようなことを話していた。その言葉を反芻する京王線は、いつもより冷房の効きがやわらかだった。帰り道、家の近くの酒屋で「 日本酒一杯100円」の手書き看板が出ていて、 街の賑わいに感動する。スーパーで安くなっていたクリームチーズ 、ハム、ジャムを買って帰る。

今日の日記に書くことではないけれど、昨日も今日みたいな一日だった。わたしはこの気持ちを知っているな、と思い、ツイッターをさかのぼる。

ここ最近の日々が泣いちゃうくらいに幸せ わたしが大好きな人たちへ、もしもさっき交わしたまたね~のまたが何かの拍子で一生こないとしても、わたしの見えないところでもいいから絶対に長生きしてくれ(2019年12月30日のツイー ト)

このときも、楽しいや嬉しいというだけではなく、人とのここでしか生まれない会話を重ねてこんな気持ちになっていた。 ひとつだけあのときと違うのは、もしもう一生会えなくてもわたしの知らないところでお元気でいてね、と思っていたわたしはもうここにおらず、どうかやさしい世界がこわれないでほしいと祈っていること。わたしだけが大事にしていればいいのかもしれない日々、これを読んでくれた人にもすべてが伝わるわけでは決してない、わたしだけの日々。そんな日々をこの上ないと感じるいまほど、こわいものはないと思う。